GONさんの島やさいウンチク・芋(ンム)其の壱

ハイ、今回は「芋(ンム)」について熱く語りたいと思います。

と、言うのも、非常に!モヤモヤっとした気持ちになる話もあるのです。

まず、日本に属に言う「サツマイモ」が持ち込まれたのは、琉球が一番最初。

1605年(宮古島は少し早く1597年と言う話)、稲・粟・麦・黍・大豆の五穀不作時の人民の食糧を補い、飢餓を防ぐ為にと、中国福建から野國総官が苗を持ち帰り、現在の嘉手納に植えたのが始まりと言われています。

五穀は地上に実るけども、芋は地下に実を作り、気象災害に見舞われた際にも、地上(葉の部分)は影響受けても、地中の実りには影響が少ない事から注目されたようですね。

その後、儀間真常が琉球各地に普及させ、その普及につれ、当時「蕃薯(ハンス)」と呼ばれていたものが「薯(ンス→ンム)」と呼ばれるようになったんだそう。

この「蕃薯(ハンス)」を研究・推進した経緯には、当然、食糧危機を防ぐ=年貢をきっちり民から納める為・もあったようですが、この栽培を確率させる苦労はただならかった様子からも、沖縄の民の事を本当に考えての事だったと思います。

その後、沖縄から薩摩に伝わり、江戸にも伝わったのでした。

その過程で、琉球が栽培の手引書を献上させられてたりするのに・です、苗が江戸に渡り、1735年、徳川吉宗が大岡越前の家臣である青木昆陽に栽培研究を命じ、1年で栽培書と品種を完成させた事により、芋の名前も「薩摩芋」と命名されたという・・・。

納得いかない~~!

こんな事から、日本では「あの」芋が「サツマイモ」と呼ばれるようになりました・・・。

納得がいかんのです〜!

二に続く!


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